心をマッチョに。

ヒポの奮闘記

考察記事

 

何かを意識する、ということについて。

私は二つ以上のことを同時に意識することが苦手だ。常にその二つのことが頭にチラついてしまう。意識をするという点で言えば常にチラつくのは強く意識できている点でメリットなのではないかという声も聞こえてきそうだがそれは違う。半ば強迫障害じみてしまうのだ。意識の対象が一つであれば、それを感覚的なものに落とし込むことは私にとってもさほど大変なことではない。しかし、二つ以上になると、無理だ。私はどうやら二つ以上のものを同時に意識することができないタイプの人間らしい。

そもそも、二つ以上のことを同時に意識する必要もない。ティノも言っていたように、一つのことを意識するのが生産性を保った上での人間の限界である。それじゃ不十分じゃんと言われそうだがそれも違う。二つ以上に意識が分散してる時は、もっぱら下流の事柄に意識を取られすぎなのである。面倒なのでここでは具体例は省略するが、二つ以上に意識が分散してる時はそれをさらに上流にできないか考えるべきだ。

そもそも、ここでいう意識とは、5秒ルールとか、場所まで移動する、とかスマホを物理的に届かない距離に置く、とかマルチタスクをしない、などというように「行動するために」意識するべきことに対する意識を言う。最近行動力がめっきり落ちたが、それを改善しようという試みである。上記は私が考えた意識の対象の一部に過ぎないが、私の悪いところはこれらを全て同時に意識し達成しようとしてしまうことである。当然そんなことは不可能だ。

そもそも、行動する、という結果をもたらすための手段として意識を用いてるわけで、これを関数で数学の例を引き合いに出すと以下のようになる。行動、が関数としてはじき出される値、そしてその変数として上記の意識の対象がある。つまり、相当な多変数関数となっているのだ。しかし、これらの変数は全て一つのパラメータで表示が可能である。これが上流を考える、ということである。人によってこのパラメータは違うであろうが、私にとって、行動という結果をもたらす変数は全て、「受験期の自分に行動力、集中力で勝つ」というパラメータで置き換え可能である。このパラメータの増加関数として目的関数の行動が定義される。したがって、この一点のみを意識すれば私の場合は1番効率よく結果を生み出せることになる。今まで半ば無限の説明変数が絡む多変数関数として行動量を定義していたのだから驚きだ。数学の問題だったらそんなアホなことはしないのに、日常生活になった途端IQ50レベルの思考に陥る。だからこういう考察が大切なのだと気付かされる。

行動に限らず、世の中の多くのことは多変数関数に見えて実は1つないしはそれに準ずる個数のパラメータでシンプルに表示できるような気がする。今後、二度と多変数関数の呪いに陥らないためにも、なるべく説明変数を少なくするというのは大切な方針なように思う。

本質的な説明変数を捉え、多変数関数の煩わしさを避ける。これが大切なのだ。